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AIの時代を、活元運動と整体で乗り切る

2019/08/24

AIの時代だと云われます。
Artificial Intelligence すなわち人工知能であり、もちろんAutopsy imaging すなわち画像診断のことではありません。

このAIによって、世の中にある職業の約半分がとって代わられると云われています。
単に情報や数値を入力して、それを記憶したり計算したりする作業は、確かに人手の要らない、またスピードにおいて人間の能力をはるかに上回るものが大半でしょう。
スーパーの食品売り場のレジの一部は機械化されており、また会計士や税理士の仕事など、様々な職業が無くなるのではないかと云われています。

しかし、AIの入り込めない領域があります。
それは“感性”の領域です。

ただ一と口に感性と云っても、概念を掴みづらいですが、AIと対比した場合には、感性の中の特に【 情報なしで知る 】能力と云って良いかと思います。

整体の恩師高野先生の「活元会」で、ある年の1月の会の日でしたが、いつものように会の準備が一通り終わった時のことです。
吉祥寺の南口にあった洋菓子屋さんの、シュークリームが2〜3個入る箱三つが、畳の上に並べて置いてありました。
奥さんや私、またもう1人の年配の女性に高野先生が、「中に何が入っていると思う?」と聞きました。
手で触れたりはできないので、文字通り“感じる”しかありません。
我々3人は皆、気を凝らして箱の中身に意識を集中しました。

私ですが、向かって一番左の中身について、薄っぺらいちり紙のようなものを、また虚しい感じや、すごく軽いものという感覚を得ました。

真ん中のものについては、均質で(手作りではなく)機械で作られたもので、3つのうちで一番重たいという感覚を得ました。

しかし右側の中身については、実にさまざまなものを感じて、それが何であるのかさっぱり分かりませんでした。

我々3人が、銘々の感じたことを言い終わると、先生が蓋を取って中身を出してくれました。

一番左は、(よく街中で配っている)ティッシュでした。
真ん中は、石鹸でした。
そして一番右ですが、京都の陶芸家で、日展でも何度か入賞していた人の、自信作、小さな香炉でした。

これをもしAIに中身を聞いても、箱に入る大きさのものという以外に情報はなく、答えは返ってこないでしょう。

機械では同じに聞こえるはずの電話の音を、けたたましく鳴るように聞こえたり、軽やかに優しく鳴るように聞こえたりするのも、感性のなせる技です。
魚屋の奥さんで、お客さんや取引先等からたくさん電話がある中で、「主人からの電話は音でわかります」というのも、感性のなせる技です。

何ヶ月か前に小学生の男の子が行方不明になり、大勢の人で探し、やっと見つかって事なきを得ましたが、西ドイツの青年のことが思い出されます。
「あなたの帰りがわかる犬」という本の中に書かれてありましたが、西ドイツの青年がケニアに行った時、サバンナでうっかり道に迷い真っ青になりました。
しかし、すぐに村の人が助けに来てくれたそうです。
その青年がどこにいるのか、また困っていることもわかって、すぐに見つけてくれたのです。
電話も何もない、つまり情報のない状態でそれができるのです。
また同じ青年が別の日に、矢尻のようなものを見つけてポケットに入れました。
その後村に帰ると、何も言わないのに村人が「拾ったものを見せてくれ」と言ったのだそうです。
これは実際にあった話です。
本来人は、皆このような感性を備えているのです。
大勢で必死になって男の子を探すなんて、ケニアのその村人たちにとっては、不思議な光景に映るでしょう。
現代人が、いかに鈍いかということです。

「AIの時代を、いかに生き抜くか!?」などと議論されていますが、私はAIがタッチできない領域であるこの“感性”を磨き研ぎ澄ましていれば、何も恐れる事はないと思います。

活元運動も、また整体操法も、痛みを取ることを究極の目的にしているのでは決してありません。

身体を敏感にし、感受性を敏感にして、より豊かで鋭い感性を備えた状態にすることが、活元運動や整体の目的です。
どこかが痛かったり辛いときだけ整体に来て、痛くなければ必要ないと放っておく人は、上記のことが全くわかっていないのです。
たった1度の人生を、そしてただ1つしかない己の身体を、なぜもっと大切にしないのかと思います。

身体を敏感にし感受性を豊かにすれば、世界はより美しく鮮やかに見え、より素晴らしい人生になると思うのですが。